今の国分寺の礎になったのが、奈良時代の741年に聖武天皇より出された国分寺建立の詔。当時流行した疫病や飢饉から、国と国民を守るために、日本の各国に国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)を建てるように命令を出しました。

武蔵国の国分僧寺と国分尼寺の立地の場所に選ばれたのが、現在、武蔵国分寺跡および武蔵国分尼寺跡として残されている場所です。国分僧寺が完成したのは757〜765年頃と考えられています。

地図で見ると近い位置に国分僧寺と国分尼寺が作られたことが分かりますが、この位置の間には、古代の基幹道路である東山道 武蔵路(とうさんどう むさしみち)が伸びていました。それについてはまた後日書こうと思いますが、東山道 武蔵路の東側に国分僧寺、西側に国分尼寺が建てられました。また、この場所は武蔵国府(現在の府中市の大国魂神社の東側)に近く、また国分寺崖線の手前にあり、水が確保できたことと、見晴らしが良い立地だったところが選ばれたポイントだったようです。


さて、その国分僧寺の跡、武蔵国分寺跡ですが、このようになっています。

武蔵国分寺跡

え、何も建っていないじゃん、と思いますよね。そう、今や建物自体は残っていないのですが、その跡地として保全されています。

講堂の跡もだだっ広い原っぱになっています。

武蔵国分寺 講堂跡

武蔵国分寺跡から東に数百m離れた場所も、七重塔の跡地として保全されています。こちらも、塔の原形はほとんどないです。

武蔵国分寺 七重塔跡

武蔵国分寺跡から北にすぐ行ったところに現在の武蔵国分寺があります。

武蔵国分寺 入り口
武蔵国分寺

奈良時代に建設された武蔵国分寺。その跡地を見ながら国分寺や武蔵国の歴史を感じてみるのはいかがでしょうか。

Last Updated on 3月 22, 2020

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