国分寺ってどんな街 アイキャッチ画像

国分寺市は東京の重心・へそ

以前の記事「【国分寺ってどんな街?シリーズ】坂の街、国分寺〜昔の多摩川が生み出した国分寺崖線〜」では、国分寺が「坂が多い街」と紹介しました。

今日は東京・国分寺 (こくぶんじ)について書こうと思います。

国分寺市は、東京都の真ん中ぐらいにあります。

島しょ部を除いた東京都の重心の位置が国分寺市内の富士本3丁目に当たるため、国分寺は東京の「重心」とか「へそ」とか呼ばれます。

【国分寺市 公式HP】国分寺市は東京の「重心」です

都心過ぎず田舎でもない「郊外」

国分寺は東京の郊外にあるので、高層ビルが建ち並ぶような都心過ぎることもなく、かといって田舎でもない絶妙なバランスがあります。

JR中央線で新宿から特別快速で約20分で、快速だと約26分で国分寺駅に着きます。都心からも意外と近いです。

国分寺の発展は「武蔵国分寺」と「中央線」

奈良時代の741年に聖武天皇より出された国分寺建立の詔(こくぶんじこんりゅうのみことのり)により、国分寺は全国に作られましたが、東京(武蔵国)の国分寺が武蔵国分寺

詳細はこちらの記事に書いています。

色々あって武蔵国分寺は消失してしまい、大昔の建物は残っていなくて跡地だけになっています。

建物は残っていない武蔵国分寺跡
建物は残っていない武蔵国分寺跡

この武蔵国分寺を中心に、国分寺の街が発展していきました。

武蔵国分寺の当時の様子 (武蔵国分寺跡資料館にて)
武蔵国分寺の当時の様子 (武蔵国分寺跡資料館にて)

再建された武蔵国分寺は武蔵国分寺跡の100mぐらい北にあります。

現在の武蔵国分寺
現在の武蔵国分寺

JR中央線

そして現代の国分寺を語る上で欠かせないのがJR中央線

国分寺市の野川の水源から見るJR中央線
国分寺市の野川の水源から見るJR中央線

1889年(明治22年)に開通した甲武鉄道 (こうぶてつどう)は新宿から八王子までを東西に走る鉄道。国分寺市の隣に小金井市がありますが、当時から小金井の桜は人気スポットで、小金井桜に行くための駅を作ることになり、当時の国分寺村の村長が所有する敷地を提供して国分寺停車場を誘致することに成功。

国分寺駅は多摩地区の交通を支える重要な駅となり、住宅地として人口も増えてきました。

甲武鉄道は後に国鉄に吸収され、今のJR中央本線の元となりました。

北口再開発

そして今の国分寺は見違えるように変わりました。

それが国分寺駅北口の再開発。2棟のタワーマンション「シティタワー国分寺ザ・ツイン」と、駅直結の商業施設cocobunjiミーツ国分寺ができ、2018年4月にオープン。

さらに北口ロータリーも整備され、駅前広場も2021年に完成。

再開発が完了した国分寺駅の北口
再開発が完了した国分寺駅の北口

自転車がごちゃごちゃ置かれていたあの国分寺と思えないほど、キレイに変わっています。

北口再開発が済んでリニューアルした今の東京・国分寺。ぜひ多くの方にいらして欲しいです。

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Last Updated on 9月 24, 2022

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