古代から国分寺(武蔵国分寺)と縁の深い府中(武蔵国府)。武蔵国分寺と国分尼寺が現在の国分寺市に建設されたのも、見晴らしの良さや国分寺崖線の地形が生み出す清流による飲料水の確保などもポイントのようでしたが、何より武蔵国府からのアクセスの良さが重要だったのでしょう。現在でも府中の武蔵国府跡から武蔵国分寺跡まで、府中街道を進むルートで徒歩3キロほどですが、古代でも東山道武蔵路があったのでアクセスは良かったようです。
府中駅の南側にある大きな神社、大国魂神社。その大国魂神社の大鳥居から東南に150m歩いたところに、武蔵国の国府(こくふ)跡があります。
ここには、武蔵国府跡 武蔵国衙(こくが)跡地区として国史跡になっています。国衙跡に保存されている朱色の柱は、国衙の中枢建物の柱の位置を示したものです。
「国衙(こくが)」というのは国の役所群のことです。また、その国衙の周辺にあった宿舎や学校、民家などを含めたものを「国府(こくふ)」と読んでいます。府中という地名は、国府の中だから「府中」ということですね。東京都の府中市以外にも、府中という地名は他の都道府県にもあり、広島県の府中市(備後府中)、同じく広島県の府中町(安芸府中)など多くあります。
この跡地には展示館もあり、奈良時代の掘立(ほったて)柱や、平安時代の礎石(そせき)柱のレプリカが展示されています。
1つめの写真でお気付きの方もいるかもしれませんが、この展示館の壁はマジックミラーになっています。その理由は、国衙の中枢建物の広がりがイメージできるように、展示館の南側に飾られている柱たちが鏡に映されて展示館の北側にも建てられているように見せるためだとのこと。
府中、そして武蔵国のルーツを知る貴重な跡地です。
Last Updated on 2月 21, 2020
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